自己紹介〜お仕事編

キャリア・転職

こんにちは。東京にぷかぷか漂いながら生きているみずきちです

こちらは、身の丈以上の映えも萎えもない、ごくごくふつうの人間がありのままの出来事を記すブログで、このページは、著者「みずきち」について知っていただくためのもの。
自己紹介は「仕事」「人生」「好きなこと」などに区切って、おこなっていく。なぜなら、生まれてから36年間のできごとを1ページにまとめようとするならば、それなりに長くなり、読者の方の「ふあーお」と言うあくび姿が容易に想像できてしまうからだ。

では、自己紹介をはじめよう〜仕事編

2023年4月、わたしは社会人歴15年目をまもなく迎える。
その他大勢と同じような生き方をしていくものだと、当然のように考えていた平凡な女子大学生は、大人になるにつれ「何者」かになろうと必死に働き、成長を得るため、気がづいたら転職を4回もしていた。キャリアを途絶えさせてはならないと、休みもなくひたすら「上へ上へ」とどこかを目指して働いていた。

初めての社会人

2008年下半期、世界経済に大打撃を与えるリーマン・ショックが起こり、世の中に不景気の香りが漂う2009年春。わたしは4年制大学を卒業し、社会へ。

大手の求人広告を売る営業マンとして、中小企業に入社する。
配属の営業所は60名程度。同期は5人とは、朝イチのミーティングから、晩ごはん(会社の目の前のカレー屋さんよく行ったな…)まで、毎日15時間を一緒に過ごす。さらに週末金曜日はカラオケオールしたり、この時代を表す言葉を選ぶとしたら、「青春」が近いだろう。

できないことを一つずつクリアしていく達成感、お客様の笑顔や「ありがとう」が嬉しいなど、どこかの教科書にあるような定型的な喜びと苦難に満ちた日々だった。
コツコツ継続する事が取り柄だったわたしは、景気も回復しだした2年目の後半から徐々に成績が出だし、4年目で年間優秀社員賞という実績を残すことができた。
先輩のおかげもありつつ、すごく必死にやっていた。多分、運ではない。

とにかくこの会社での評価が、この世の評価軸とイコールだと思っていて、この仕事で成果が上がらない人を見下していた気もする。
そんな中、会社で一等賞を取った後、次に目指すべきものが分からず迷っていた。それと同時に、当時付き合っていた彼の「いつか地元に帰りたい」という希望を実現するため、田舎でも好きな仕事が選択できるようにと、「ベンチャー」への転職を決意する。

社長と社員2人の会社へ飛び込む

2014年12月。3人目社員として、築50年以上のワンルームマンションにあるベンチャー企業に転職。まずルールやゴールから設定し、登っていく道筋まで自力で作る環境に、はじめの半年は大混乱するものの、自分の手で会社やサービスを広げていく手触りは、一度味わうと癖になった。
PRがうまくできていることもあり、某経済ドキュメンタリー番組にも取り上げてもらえ、前職の人からも「すごいじゃん」という羨望やお褒めのこもった連絡をもらったりした。
ワクワクや成長が止まらない一方で、毎日顧客との連絡や、イベントの企画・手配、製品開発や紹介文作成などに追われていた。すべてが緊急・重要事項で、優先順位が付けられないものばかり。また製品の不具合が発生し、お客様先へ全回収へ動くなど、明日会社が潰れるかも…という「一寸先は闇」系トラブルも盛りだくさんだった。

喜ぶお客様が増えるに比例し、社員も増えていく。そんな組織は、少しずつ流れる空気(カルチャーや価値観と呼ばれるもの)が変わっていき、またカスタマーサクセス職において自分の市場価値を高めたいという意思で、入社3年目を迎える前に会社を巣立つ決意をする。

2017年渋谷道玄坂にある小さなベンチャーへ

3社目は、渋谷道玄坂をノコノコあがっていったところにある創業7年目、従業員数60名の会社だった。社長は同い年だった。
配属先は、10名に満たない事業部であるものの、会社の稼ぎ頭。稼ぎ頭ゆえ、プレッシャーが大きく、私が入社前の時点で、すでにベテランメンバーが脱退しており、3ヶ月後には管掌役員もいなくなるという、思い起こせばなかなかのハードシーズンだった。
ほぼ同期入社のメンバーと、チャットツールで愚痴を言い合いながらも、足りない穴を埋め、道を整えて、前進していく日々は刺激的だった。少ない資源で地道に前へ進んでいくという前職での経験は、フル活用できたものの、元々目標としていた「スキルアップ」には到底及ばず、わずか一年半で見切りを付けることになった。
これまでは、転職メディアを通じて自力で職探しをしていたが、年収アップの交渉をスムーズにおこないたいという気持ちがあり、エージェントを初めて使った。

ちょっと大きな会社で、安定できるか?

4社目は、創立6年目であるものの、誰もが聞いたことのある大手企業2社のジョイント・ベンチャー。人数もこれまでの会社と比較すると多く、職務の担当範囲を狭め、専門性を高めていこう!という期待で胸をいっぱいにしていた。
入社1年目は、新しいチャレンジの連続だったが、2年目を迎える頃にコロナや会社都合のインシデントが発生し、全社員本来の業務が半年間一切できなくなる大事件に。
そんな中でも、オンライン会議でつながり合い、乗り越えることができた。
みんないい人ばかりだったが、ただどうしても、大手企業の傘下にいるため、革新的な取り組みが評価されず、また石橋を叩いて渡る社風が自分に合わないことも明確にわかってきていた。
そして3年半が経つころには、自己効力感・有用感が得られず、抑うつ状態になりかけ、次のチャレンジの場を探すことに。

Twitter転職。色んな意味で、見える世界が変わってしまう

大企業の風土が合わないのだろうと思い、またまたスタートアップと呼ばれる会社をメインに探しはじめる。
Twitterでとある企業の代表からDMが届き、その会社に興味を持ってからというものの、1ヶ月ちょっとであれよあれよと選考も進み、「私はやっぱりベンチャーにあうんだな」とのほほんとしながら、入社。しかしその3ヶ月後に私は退職をする。しかも「適応障害」のお墨付きを得て。

簡単に言うと、社長と合わなかったということになるが、信頼関係が構築できていない状態で、毎日否定され続ける事は、どんなに厳しい生活を乗り越えてきたとしても難しかったと思う。3ヶ月で辞める決断ができて本当に良かったと心から思っている。

そして、2023年。

私は無職となり、これまで無縁だった、目覚まし時計をかけないで迎える朝を噛み締めながら、ハローワークへ通っている。

自分の成長や次のステージを真剣に考えて、常に行動してきたわたしが、まさかまさか、今は一歩も動く気持ちになれず、小休止しているところ。

頑張るマインド、休むマインド、諦めるマインド。
すべて携えたいまのわたしは、もしかしたら一番最強な気がしている。
充電が終わった数カ月後が今からとても楽しみだ。

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