ある日、丘サウナーは外気浴でハっとする

たのしむ

ガマンする意味が解せない

最寄りのコンビニより銭湯が近いそんな立地にずっと住んでいるせいか、街の銭湯が好きだ。
しかし、サウナにはまったくピンと来ず、サウナが併設されている銭湯に行っても追加料金を払うまでの価値を感じないので完全スルーしていた。

熱い部屋で、黙ってじっと耐えるなんて、何が楽しいの? と思う。
だけれど、とても矛盾するが、なぜだか、みんなの言う「ととのう」に興味を抱くわたしもいる。なんかその、わかる人にはわかる聖域というか、ある日いきなりその道が拓ける修行の道というような憧れがあった。

水風呂で膜ができる?

まずは人に聞くのが一番早いと思い、たまたま話す機会があった知り合ったばかりの人に聞いてみた。
そうすると、「サウナの後の、水風呂が気持ちいいよ。体のまわりに膜が張るような感覚がある」と言った。「ととのう」状態の仮説を得たので、あまり間を空けずに体験しに行ってみようと思った。

用事のついでに立ち寄れる銭湯を探し、いつもの自分の行動範囲とは少し違うエリアの銭湯に行ってみた。確か、土曜日の夕方だったはず。
わたしは番台で、サウナ利用料含む料金を払い、オレンジの貸しタオルを携え浴場へ向かった。丹念に体を洗い、湯船に浸かりじっくり温める。いつも、あっちの風呂、こっちの風呂と湯船を行き来するだけにとどまるが、この日のメインディッシュはこの後だ。なんだかワクワクした。
ペットボトルの水をグイと飲み、いざサウナへ。
のぼせて体調が悪くなるのも嫌だったので、自分の限界を越えない程度で部屋を出て、水風呂へ向かう。これを2回繰り返した。
確かに膜ができるような?という感想だった。
「ととのう」感触はあまり得られなかったが、この日は満足だった。なぜならサウナだけではなく、水風呂にもチャレンジすることができたからだ。

しかし、このあと脱衣所で達成感ほくほくのわたしは、肝から冷やされる。

サウナの暑さより、常連の圧

脱衣所で、身支度を整えていると、60代らしき女性と目が合った。合った、というかじろりとされたという表現の方が近い。わたしの顔を見るや否や、その場にいた顔見知りの女性に、「今日は祝日でもないのに、混んでるわね〜。新しい人や若い人が増えているわよね〜〜」といかにもな嫌味を言ったのだ。いつの時代、どの場所にも、派閥を作って、自分の意心地を保とうとする人はいるもんだ。こっちは同じ料金を払っているのに、こんな気まずい思いをしなければいけないのか…少し残念な気持ちで、その銭湯を後にした。

後日、別のサウナ併設の銭湯でも同じ待遇に遭ったので、「地元民に愛される銭湯あるある」なのかもしれない。今は、これを含めタフな精神で楽しもうと心を改めている。

22度でプカプカトランス

一度は、常連さんの圧に屈したわたしだが、サウナでととのうことに対する憧れは冷めなかった。温浴施設に行くこと自体が好きなので、行くたびにチャレンジを続けていたが、その間も「水風呂で膜を張る」だけを目指し、他の感覚を得ることはなかった。

ある日、東京文京区にある「スパラクーア」に行った時のこと。ここは、地元民であふれる銭湯ではなく、老若男女、常連一見が多く交わる観光地。そのためサウナも広く、常連さんの目を気にせずにじっくり過ごし、汗を流してから、サウナを出たところすぐにある水風呂にザブザブ行く。

「あ」

これかも、という感覚が見えたのだ。
冷水で意識がハッとするかと思いきや、寝落ちする前のフワッとした心地よい感じがした。頭が軽くプカプカする感覚もある。
電車でうとうとし、後方の窓ガラスに頭突きを食らわした経験がある方ならおわかりいただけるだろうが、全身に眠気が覆っている時の頭はボーリングの玉のように重い。でも、水風呂に浮いているわたしは、重さから解放されていた。エアリ〜。

自然と目が細く、口が半開きになり「ニヤニヤ」顔になっていた。
友人が、その姿を見て、怪訝な顔をしていた。魂が抜けた顔を目の当たりにした時の、正しいリアクションだろう。
この日を境に、サウナは水膜づくりではなくて、水風呂でトランス状態になることが正解なのではと思い直す。

あと一つの足りないピース

心地よさと呼ばれるものの一端を理解するまで2年。コロナウイルスの流行で外出しにくかった影響もあるが、ここまで来るには結構時間がかかった。でも諸先輩方からは、「まだまだ修行の身じゃな」とげんこつを食らってしまいそうだ。なぜなら、わたしはまだ「外気浴」でととのったことがないのだ。

そもそもわたしがこれまで行った場所では、屋外でゆっくり休めるような専用のスペースがあまりなかったように思う。そんな時は、洗い場の一番端っこの風呂イスに座り、休憩をしていた。
休憩スペースがあっても、真っ裸で恍惚とするのが、少し恥ずかしくもあった。

そんなわたしが頂きに到達する日が、突然訪れる….

トップオブサウナで開眼する

熊本から長崎へ向かう旅の途中、佐賀の武雄温泉に寄ることにした。武雄温泉は、最古の公衆浴場で有名な温泉地で、歴史ある空気を感じながら温泉に入れたりもする。2箇所回ろうと思っていたので、今日はどこに行こう?と、行きの電車でスマホの画面とにらめっこしていると、「御船山楽園ホテル らかんの湯」が目に留まる。

平日だったからか当日予約も可能で、全国旅行支援で2,000円クーポンもあるし行くか〜。というノリだった。しかし、ここは、「今行くべき全国のサウナ」を表彰するサウナシュランで3年連続グランプリを受賞した知る人ぞ知るサウナ、そうサウナの頂だったのだ。

やたらとおしゃれなチームラボとコラボしたフロントから館内の奥の奥へちょっとばかり歩く。

温泉は言わずもがな。
サウナも、源泉を17度に冷却した水風呂も言わずもがな。
「ふあ〜」と幸せのため息をつきながら、だんだんとあたりが暗くなっているテラスに出る。

この日は、10年に一度の大寒波が来る前日で気温は5度あるかないかくらいだったはずだが、外気がほこほこあったまった体を優しく包んだ。

全然、寒くない。気持ちいい!不思議な感覚だった。
裸で外にいて寒くないなんて、わたしって今日本で一番強い人間なのでは…??と錯覚もした。

夕暮れ時の空に薄く見える星と御船山を仰ぎながら、露天風呂に浸かる。
やっと…やっと…サウナを真に楽しんだ気がして嬉しくなり、また大きく幸せのため息を吐く。やっと「ととのう」ことができたという達成感により、エクスタシーが倍増している。

この瞬間に、あぁ、「ととのう」というのは、体だけではなく、同時に心が満たされるという感覚なんだ、と気づいた。

いつまでもいつまでも、温泉に入っていられそうな、そんなほんわり気分だった。

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