人生を変えたとか、そんな映画の話ではない。グッときた名台詞の紹介でもない。あらすじはよく覚えていないけど、持っている空気感や雰囲気が好きだという理由で、ふと頭の端っこに残っているシーンがある。
心の中で、その仕草を真似をしたり。わたしもこういう心持ちでありたいな、とかお手本にしたり。そういうものたちを並べてみる。
「間宮兄弟」 うなぎパイを食べるシーン
間宮兄弟の弟徹信を演じる塚地さん(ドランクドラゴン)が、うなぎパイを開封して食べる動作に衝撃をうけた。
多くの人は、お菓子を開けるときは包装がギザギザになっているところから、下にぴーぃとするだろう。でも、徹信は、眉毛をカットするときに使うような刃が小さなハサミで、うなぎパイの上部を横にチョキチョキチョキと切って、両手で袋を持ち、うなぎパイを上に滑らせてパクパクする。
便利だけど、包装のギザギザを使うと、お菓子本体にぶつかって割れてしまったりすることがある。けれど、これはギザギザの恩恵を受ける上で仕方のないことで、自分が注意すればいいものだと思っていた。だからこそこれを観たときは、ライフハック術だと心底感心した。(しかも、この方法だと手も汚れない!)
何より、すごく丁寧に味わうという行動そのものが可愛い。ロボットのように、規則的なのが余計に可愛い。
以来わたしも、お菓子を可愛く食べたい時は、塚地さんを脳内再生し、ハサミを使って開封している。個包装のロータスビスケットを食べるときは必須。
主題歌RIP SLYMEの『Hey, Brother』も好きだったな。
あらすじ
30歳を過ぎても同居する間宮明信・徹信兄弟。ともに女性には縁がなく恋人がいたことがないが、多趣味で兄弟仲は異様に良いため、日々の暮らしには特に退屈していない。そんな中、徹信の勤める小学校の女性教諭・依子と、兄弟行きつけのレンタルビデオ店の店員・直美を家に招待する機会が訪れることになる。
-引用「ウィキペディア」
「人のセックスを笑うな」ユリちゃんの帰宅シーン
終電を逃し、朝帰り中のユリちゃん(永作博美)が、テボテボと蛇行しながら歩いている。靴ずれで、歩くのも煩わしくなり履いていた靴を放り出す…それが物語の冒頭のシーンだ。
もう一つ記憶に残るシーンも帰宅のシーン。オールナイト上映の映画館でたまたま会った生徒のみるめ(松山ケンイチ)と、ファミレスでお茶して、朝7時すぎに家に帰ってくる。
着ていたコート、カーディガンをその場にポテポテと脱ぎ捨てながら、部屋の奥へ。戻ってきたと思ったら、台所でつまんできたのか、干し芋のようなのを手にしている。芋をモグモグしながら、タバコに火をつけ、流れてくるラジオの音楽にあわせて鼻歌を歌う。ふと思い出したように、立ち上がりワンピースを脱ぎ、靴下を脱ぐ。下着はベージュでクタクタ、ストッキングの上には防寒用のパンツを履いている。
ユリちゃんの様子を文字で書き起こし読んでみても、全く意味がわからない。
つまりカオスで、自然体で自由でかっこいいのだ。
道路に引かれた白線の内側から、きっちり1ミリもはみ出さないように生きてきた自分には、40歳目前の大人がする無防備な姿がとても衝撃だった。その日以降、20そこそこのわたしは、ユリちゃんに憧れるようになった。あれから15年以上経ち、大学生のみるめに近かったわたしは、あっという間にユリちゃんの年齢に迫っている。さすがに大学生と恋に落ちることはないし、タバコを嗜むことも経験できていないが、いい感じに肩の力が抜けたおばさんになっている気がする。
ラジオから流れていた武田カオリ with HAKASE-SUN「ANGEL」も好きで、たまに思い出してはYoutubeで聞いている。
あらすじ
地元の美術学校に通う青年みるめは、20歳年上の女性講師ユリからモデルを頼まれ、彼女に導かれるまま関係を持ってしまう。ユリの姿が見えない日、みるめは彼女の自宅を訪ねるが、彼を招き入れた男性はユリの夫だった。-引用「MOVIE WALKER PRESS」
「イエスタデイズ」 好きなヒトの、好きなものを、好きになる
これはほとんどお話を思い出せないのだが…「イエスタデイズ」という映画。塚本高史さんと國村隼さんが主役だ。
その中で出てきたこの「好きなヒトの、好きなものを、好きになる」というフレーズをはっきりと覚えている。
まともな恋愛をしたことなかったわたしは、二人でいるからできることって、目や体が二人分になって、見える世界や楽しめることが2倍になることなんだな。と知った。
わたしも早く2倍になりたいと未だに思っている。
あらすじ
余命わずかな父親から32年前の恋人探しを頼まれた聡史は、戸惑いながらも父親が当時スケッチブックに描いた肖像画を手がかりに彼女を探し始める。かつて彼女が暮らしていたアパートのドアを開けると、そこには32年前の父親と彼女がいた。-引用「映画.com」
「ソウルフルワールド」22番の気づき
22番とは人間に生まれる前のひとつのたましいの名前。生まれる前のたましいたちは、ソウルという世界で、性格や性質を決められ、人生のきらめき(意義とか成し遂げるもの)をひとつ見つけ、地球に生まれ落ちるという。しかし、22番に限っては、きらめきを見つけられず、人間の世界へ行くのを何百年と拒否しているが、ある出来事がきっかけで、人間界へ行くことに。初めての人間界で、その頑なだった拒否反応が溶けていくというお話は、とても哲学的で面白い。何度も見返したい映画だ。
22番が、紅葉した葉の隙間から太陽の陽がキラキラ輝いてこぼれてくるのを見て、これが人生の意味=きらめきなのではと察するシーンが、とんでもなく心震える。
多くの人が、「夢を叶えてこそ生きる価値がある」と教えられて育つと思うのだが、言葉の意を返すと「叶えられないやつは無意味な存在」とも捉えられ、自分を肯定することが難しいように思える。このフレーズは、目的の達成如何ではなく、陽の暖かさや、季節の移ろい、ピザの美味しさ感じることが幸せで、それで十分なんだと教えてくれる。
Disney+に加入しないと見れないけど、これだけを見るために加入してもお釣りが来るくらいな1本だと思う。
22番の出っ歯気味な前歯とひねくれたキャラが愛おしい。
あらすじ
ニューヨークでジャズ・ミュージシャンを夢見る音楽教師ジョーは、夢が叶う直前にマンホールに落下してしまう…。彼が迷い込んだのは、ソウル<魂>たちが地上に生まれる前に「どんな自分になるか」を決める世界だった!そこでジョーが出会ったのは、やりたいことを見つけられず、“人間に生まれたくない”と何百年もソウルの世界に留まっている“22番”と呼ばれるソウル。夢のために地上での人生を取り戻したいジョーは22番に協力を求めるが…奇跡の大冒険を繰り広げる二人が、最後に見つけた<人生のきらめき>とは…?-引用「disney.co.jp/」
「きのう何食べた?」 家をあけていたシロさんが帰ってきたシーン
第4話のシーン。シロさんが父親の入院手術で家をあけて帰ってきた日は、ちょうどケンジがお休みの日だった。ケンジは、掃除や洗濯を何気なく完璧にこなしていて、その様子を見て、お礼を伝えるシロさん。
それに対して、アイロンがけをしながら「なんか色々大変なときって、帰ってきて家が散らかっていると、余計心が荒むじゃない」とケンジが返答する。この言葉に、胸が温かくなる。
ただ家をきれいにするだけではなくて、心地よく過ごしてもらいたいという気持ちが添えてあることに感激してしまう。
忘れがちだけど誰かと暮らしを共にするには、重要なこと。わたしも大切な人に対してそう思える人間になりたいな、と思った。ケンジはプレゼント選びの気遣いといい、人生の先輩としてお手本になる人間で、大好きだ。
このフレーズを聞いてから、仕事が忙しい時、ちょっとつらいことがあった時は、必要以上に自分で自分を荒ませないように、意識して掃除をしたり、シンクに洗い物を溜めないようにしている。
2023年はまたドラマ放送があるとのことで楽しみだ。
あらすじ
几帳面な弁護士・筧史朗と、人当たりの良い美容師・矢吹賢二の2人が2LDKのアパートで暮らす毎日を、食生活メインに展開する物語。
「大豆田とわ子と三人の元夫」 最終話とわ子の「好き」という感覚
3人の元夫と、途中から知り合う小鳥遊という男性。どんな自分でいれば幸せなのだろうかと考え、その道を選んだとわ子から出てきたこの言葉。
「私の好きは、その人が笑っててくれること。笑っててくれたら、あとはもう何でもいい。そういう感じ」
語尾のそういう感じ、の部分まで含む言葉の選びとそのニュアンス全てに、とっても共感した。恋人に特別に思われたい!扱われたい!とかそんなんじゃなくて、家族、友人やパートナーなど、わたしの好きな人たちが、心身共に健康で、笑顔で過ごせてくれればそれでいい。本当にそう思う。
神社でお参りする時は、ここ数年こればっかり念じている。
あらすじ
大豆田とわ子はこれまでに三度結婚し、三度離婚している。「あの人、バツ3なんだって」「きっと人間的に問題があるんでしょうね」そりゃ確かに、人間的に問題がないとは言わない。だけど離婚はひとりで出来るものではなく、二人でするもの。協力者があってバツ3なのだ。
大豆田とわ子が三人の元夫たちに振り回されながらも、日々奮闘するたまらなく愛おしいロマンティックコメディー。引用-「関西テレビのサイト」
雑にあれこれ挙げたが、思い出すことでまた元気になるという副次的効果を得られた。
今後もお気に入りのシーンやフレーズを溜めて、自分を元気に、つまりセルフ給油、していこうと思う。
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